入院生活その2 東日本大震災

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こんにちは。3人の子持ちアラフィフ主婦“まのかるママ”です。
育児で感じたアレコレを発信しています。

初めて経験する大地震

入院してから1週間が過ぎた頃、日中に震度5弱の地震がありました。

病棟が高層階だったこともあり、かなり揺れたので焦りました。

後から聞くと、この地震は、大地震が起こる前に揺れる「前震」といわれるものだったそうです。

その2日後。

人生で初めて、最大震度7、マグニチュード9.0という大地震を経験しました。

東日本大震災です。

マグニチュードは、定義上、12までいくと地球が割れてしまうといわれているそうです。

マグニチュード9.0は、2日前の地震とは比較にならないほどの揺れ方でした。

地震?と感じてから揺れがだんだん大きくなり、目の前の妊婦さんがベッドごとグワングワン右に左に行ったり来たり。

病室にいた看護師さんも立っていられずしゃがみこんだ状態。

妊婦さんは皆、振り回されるベッドから落ちまいと必死にしがみつき。

ものすごく長い時間揺れていたように感じました。

こんなことが起こるなんて。

想像もしていませんでした。

 

リアルタイムで見た被害状況

世の中が大惨事になっていることは、テレビやラジオで放送され続けました。

入院していたのは大きな病院だったので、自家発電により医療システムは復旧。

ありがたいことに最低限のライフラインは確保されていました。

テレビを見ることができたおかげで、被災地の惨状がリアルタイムで伝わってきました。

しかし、最も被害を受けた地域では、停電でテレビを見ることができません。

現場にいた方々は、被災状況を把握できない状態のまま夜を迎え、どんなに心細かったかと思うと胸が痛くなります。

 

その夜、上層階の病院の窓から見た景色は忘れることができません。

昨日まで眼下に広がっていたはずの街の灯りは一つも確認できず、窓の外はどこまでも真っ暗闇が続いていました。

初めて見る、どこにも灯りがない夜の街。

とんでもないことが起こったということは理解できました。

 

病院の素晴らしい対応力

地震後の入院生活を思うと、病院の対応力の凄さについては驚きしかありません。

たまたま入院していた私は、実は震災後の不自由な生活を経験していないのです。

周囲の方々から被災後の生活を詳しく聞いて、世の中がどれほど大変な状況だったのかを痛感したのは、退院してからです。

ライフラインが全て断絶し、大変な思いをしていた方々に申し訳ない気持ちになってしまいます。

もちろん、震災前と全く変わらない生活を送れたわけではありませんでしたが、電気は通っていましたし、食事も内容は質素ながら3食きちんと提供されました。

水洗トイレも使用できたと記憶していますし、シャワーも一般家庭に比べると早く復旧したと思います。

入院中の自分とベビーが安全な環境に置かれていたことは、今思い返しても本当にありがたかったです。

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